合同会社mano
「いい手、考えよ」をスローガンに、顧客が抱えるビジネス課題を、独自の観点でとらえ直し、具体的な解決手順を提案する。グラフィックデザインや広告撮影などのクリエイティブワークにとどまらず、販路開拓や事業運営代行など、クライアントの幅広いニーズに応える合同会社mano。経営者から多大な信頼を寄せられる背景にあるのは、CEOの西川将史さんとCOO淺田依里さんが持つ、あらゆる業界のブランディングやプロモーションを通して得た多彩な実績とキャリアだ。
manoのCEOを務める西川さんの経歴は一言では語れない。もともと日本橋が大好きな機材オタク。ビリヤードのプロテストを受け、CPUメーカーに直談判してスポンサーを自ら開拓。プロテストは不合格だったが同社にアルバイト雇用され、家電量販店のセールス担当をすることに。その後運よく紹介されたソフトウェアメーカーでは、イスラエル人の上司からITビジネスの基本を学び、未来につながる貴重な経験を積んでいった。大学では臨床心理と芸術療法を専攻し、精神疾患を持つ患者の高い芸術性を哲学・環境学・脳科学の分野から研究。しかし、学術研究を経済活動につなげることは難しいと考え、フリーランスのカメラマンとして活動するようになった。思いつきをすぐに試していく西川さん。大学卒業後、専門職大学院でブランディングやデザイン思考について学んでいた頃には、スポーツジムで出会った芸人やTV局プロデューサーから撮影依頼を受けるなど、「運をつかむ力」を多いに発揮する。
大学院で同期の起業を手伝っていた西川さんは、卒業後はMBAで学んだことを生かしたいと考えていた。教授に相談したところ芦屋のブランディング会社「株式会社TCD」を紹介され、入社することになる。 この時点では大学院で学んだとはいえ、ブランディングに関する実務経験はゼロ。毎日3時間ほど電話で、東京にいる顧問に根掘り葉掘り質問し、自分なりに課題を見つけ、仮説を立て、本質的な解決法を考える、という日々が続いた。大変ではあったがそれが今に生きているという。「お客様が取り止めのないお話や的を射ない質問をされたときも、なにかしらの解決の糸口を見つけて、本質を突いた提案ができるようになりました」と西川さん。 数年が過ぎた頃には日本を代表する家電メーカーに対し、20万人の社員を統括するブランドルール構築とメンテナンス方法の精査、データ分析、運営改善の提案を行うなど、ブランドマネジメント支援を長年にわたって行い、大きなプロジェクトを手掛けるようになっていった。
一方、淺田さんは大学のデザイン学科で映像を学び、就活では早々にグラフィックデザイナーとして内定をもらっていたが、「広告写真スタジオ 七彩工房」の社長(現会長)である中矢伸志氏の圧倒的なパワーとエンターテインメント性に衝撃を受け、内定を辞退。同社に入社した。アシスタントとして採用されたが、フォトレタッチから顧客折衝、撮影進行やフォトディレクションまでなんでもこなし、最終的にはデジタルレタッチ部門の関西トップに就任。相手の懐に入り込むのが得意な淺田さんは、プライドの高いカメラマンたちのコントロールもなんなくこなし、顧客の本質的なニーズに対し、クリエイティブで見事に応えていく。最終的に200以上の業種に携わり自身のスキルを磨くだけでなく、部下を育て、組織づくりにも貢献。仕事は楽しかったが、もっと上流に携わりたいとTCDに転職を決めた。 淺田さんがTCDに入社してすぐに声をかけたのが西川さんだ。二人は写真という共通点があり、仕事を通してすぐに親しくなった。ある日淺田さんは西川さんに「仲間のクリエイターを独立させたい」と相談。西川さんと淺田さん、カメラマンとデザイナーを加えて食事に行ったところ、その2人は「独立はしたいが、制作以外のことはしたくない」という。「僕は学生時代に起業も経験しているし、ずっと経営に近いところで仕事をしてきたので会社の作り方や資金繰り、投資のやり方もわかる。淺田はクリエイターのモチベーション維持がうまい。じゃあ、クリエイターにとって面倒なことは僕らが代わりにやるから副業として関わってみたらどうか、と提案したことが“mano”というプロジェクトの始まりなんです」
本業に新たなプロジェクトも重なり忙しくしていた折、西川さんの体に異変が起こる。視界にモヤがかかり、視野も狭くなっていく。緑内障だった。病気は急に進行し、右目はほぼ見えなくなり、光が入ると全身に蕁麻疹が出て痛みが走るなど、まともに仕事ができる状況ではなくなった。以前のように会社に収益貢献ができないことを心苦しく感じた西川さんは、会社との新たな関り方を模索。 「会社に収益を落とせていないのに高い給与や保険に加入してもらうのは気が引ける。雇用契約から業務委託にすれば会社も経費圧縮ができるし、他の人たちが今後こういった働き方がしたいと言い出した時のモデルケースになる、と話しました」。西川さんは2020年3月末でTCDを退職。4月に個人事業主となり、病気を持ちながらも働ける環境を求めて8月にODPのインキュベーション支援を受けることにした。
淺田さんもまたこの先の働き方を考えた結果、独立することを決意。9月には運営体制を整えるために、新たな法人を立ち上げた。クライアント向けに、新規事業の立ち上げ、ビジネスコンセプトの精査、技術シーズの販路開拓、バックエンドシステムのAI活用や、ブランドコミュニケーションの効果測定なども対応。事業規模が拡大する際に起こりがちなマネジメントトラブルを事前に防ぎ、スケールアップするための手を考える。個人事業主をYoutuberとしてデビューさせたり、障碍者就労支援施設の収益性改善のために事業マッチングを行ったり。事業プロデュース・ファシリテーションという強みを持って、デザイン制作という業種を超えたサービスを提供している。 また、クリエイター向けにはカメラマン、グラフィックデザイナー、WEB、映像、ライターなど、さまざまなクリエイターの複業支援を行う。 「mano」がめざすのは完全にフラットな組織。
クリエイターの独立は支援するが、従業員として拘束したいわけではない、と強調する。「社員として雇用すると、たとえば出社時間とか労働時間を管理しなければならなくなります。それって本当にクリエイターにとってベストなのかは疑問ですよね」と淺田さん。それに対し西川さんも、「暖簾わけのようにmanoという名前を自由に使ってくれるフリーランスのクリエイターをどんどん増やして、その人たちとゆるく経済でつながっていたいんです。クライアントもクリエイターとして好きに参加してくれていいですし、自分の人生設計やライフスタイルに合わせて自由な働き方を選択してほしい」と続ける。 manoは今、二人が話すようにクライアントもクリエイターも協働していける仕組みを構築している最中だ。そしてこの企業の経営企画やマーケティングの支援事業とクリエイター支援事業とに加え、西川さんが緑内障を患ったことがきっかけではじまったmanoウェルネスという新規事業を3本目の柱に据える準備をはじめている。小さな組織でありながら、様々な人を巻き込む台風の目のようなmanoの今後に注目したい。
クリエイターズボイス公開日 : 2021年3月30日
取材・文 : 和谷 尚美 (N.Plus)