「WEBというツールとの付き合い方、向き合い方など、根本の部分からデザインしたいと思っています」と語るのは、Motto Designの元兼正義さん。現在はODPに拠点を構えて活動しているが、その経歴はまさに波乱万丈。ドラマのような少年期を経て、社会人へ、そして独立へ。自らの力で社会を生き抜いてきた元兼さんが語るこれまでと今、そして見つめる未来とは。
Motto Design 元兼 正義
1984年、奈良県大和高田市生まれ。「幼い頃はわりと豊かな暮らしだった記憶があります」と元兼さん。というのも、父親は祖父が創業した会社に勤めており、バブル景気の頃は左団扇で暮らせていたという。しかし、バブル崩壊と共に経営が傾き倒産。「借金を抱え、一気に極貧の状態に。両親はパートを掛け持ちしながら暮らしを支えてくれました」。
中学校ではバスケットボール部に入ったが「お金がないからバスケットシューズを買ってもらえなくて。父が働くプラスチック成型工場でバイトし、半年お金を貯めて買いました」。この時にお金を稼ぐことを覚えた元兼少年。徐々に学校へ行かなくなり、家にもあまり帰らないように。中学卒業後は、両親から「高校だけは行ってほしい」と懇願されて高校へは進学したが、ここでも徐々に学校から足が遠ざかっていった。
当時は住み込みバイトとして、スナックの2階にある従業員用の仮眠室を寝床にしていた元兼さん。昼はバイト、夜はスナックのスタッフとして働いた。「半年くらいこの生活をしていましたが、周りの大人がサポートしてくれたおかげで、初めてちゃんとした部屋を借りられました」。
その後、1年ほどで実家に戻った元兼さんだったが、フリーター生活は相変わらず。「21歳になった頃、仲間が急にスーツを着て就活をはじめ出したんです」。当時、バイトを掛け持ちして初任給以上の収入は得ていたが、この働き方では収入には限界がある。就職すると一時的に稼ぎが減るかも知れないが、収入の伸びしろはあると考えた。
「学歴のない僕が就職するには何か一つに絞った方がいい。洋服が好きだったので、アパレル販売員の仕事に絞りました」とアパレル店へ就職。2年目で店長を任されるほどになったが、ここで転機が訪れる。「独立する先輩から一緒にやらないかと声を掛けられたんです。おもしろそうだし話に乗ってみようと」。任されたのはアパレル店のWEBショップ。独学でWEBの知識を学びながら運営していたが、事業そのものが軌道に乗らず1年半ほどで解散。職を失ってしまうが、つながりがあったアパレル会社のEC担当として働くことになる。「初めてのまともな就職。回り道したけど、社会の本流に戻れたのかなと。そう感じると同時に、WEBのスキルをもっと深めたいと思うようになりました」。
28歳で転職。入社したのは、元兼さんを含め3名という小さなWEB制作会社。「厳しい環境でしたが本当に勉強になりました。最も大きな学びはロジカルな考え方。今の仕事のスタイルに大きく影響しています」。そして、この頃には独立が視野に入っていたという。「一人で生きていた10代の頃の感覚が戻ってきたというか(笑)。35歳で独立することを目標にしました」。
独立までにプログラミングのスキルを身に付けるべく、32歳で大阪市内のシステム会社へ転職。「実はこの頃から、副業で広告代理店からWEBデザインの仕事を請け始めたんですが、すぐに本業の収入を上回ってしまって。代理店からはもっと仕事をお願いしたいと言われていたこともあり、独立することにしました」。2018年3月に独立。このとき33歳。予定よりも2年早いスタートを切った。
「独立直後から広告代理店の仕事でパンパン。95%はこの会社からの仕事でした」。華麗なスタートダッシュを決めたが1社だけに頼り切りな状態。この状況は良くないと感じ元兼さんは、つながりを広げるべく「クリエイティブネットワークセンター大阪 MEBIC」へ足を運び出した。その中で知ったのが、「独立クリエイターの超プロデュース力アップ講座」。プロデューサー・エサキヨシノリ氏が講師を務める名物セミナーだ。当時、独立2年目。表面のデザインだけではなく、より深い部分から関わりたいと考えていた頃だった。
セミナーは全10回。まずはどんなものかと第1回に参加。「2、3回参加すれば10回分理解できるだろう」と高をくくっていたが、3回目を受講した頃にその考えが変わる。エサキ氏が情熱を込めて伝えていたのは、クライアントの課題を見つけ、解決するためにプロジェクトを導くプロデュース方法。まさに元兼さんが求めていたものだった。「これはスゴイと感じて。最後には最前列でカブリつきで受講してましたね(笑)」。
また、2020年4月にはMEBICのコーディネーターに就任。しかし、直後に襲った新型コロナウィルスの流行によって活動が制限され、思うようにつながりは広げられなかった。さらに、翌2021年初頭にはコロナ禍で、頼みの綱だった広告代理店の仕事がゼロに……。不運続きの元兼さんだったが、ここでODPを知ることになる。「ODPツアーズに参加したのがきっかけです。ODPを実際に見て、人も設備も良いし、コミュニティもあるんだなと。新型コロナの影響でつながり作りが消化不良だったこともあり、ここで新たなつながりを作ろうと決めました」。
2021年10月にODPへ入所。拠点を新たにしたことで変化はあったのだろうか?「入所企業の合同会社manoさんと一緒に『タコアシ会』というイベントを開いています。“人と人のつながりをアシストする、人のご縁をタコアシ状に広げる”がテーマです」と、人と人を繋げるイベントを月2回ほどのペース開催しているという。「ODPにはビジネス領域の人たちが多く、僕もビジネス寄りの人間。水が合っているので楽しいですね」。
「タコアシ会」の参加者は、紹介したい人を1人連れて行くルール。つながり作りだけではなく、テストマーケィングの場などにも活用されている。
今年で独立5年目を迎えた元兼さん。これからの仕事について聞いてみると「仕事は三本柱で考えています」と語る。一つ目は「制作」。広告代理店から受けていたような一般的なWEBデザインのことで、自ら手を動かしWEBサイトを作るクリエイターとしての仕事。二つ目は「プロデュース」。クライアントの課題を解決に導くプロデューサーとしての仕事。「エサキさんのセミナーで意識が大きく変わる体験をしました。僕がクライアントに提供したいのはそんな体験。WEBというツールがなんのために存在して、どう機能するのかなど、根本の部分から考えてカタチにしていきたいです」。三つ目は「クリプラ」。クリプラとは、2022年4月に元兼さんが仲間と共に立ち上げたサービスだ。「月額定額制のデザイン制作サービスを立ち上げました。まだ動き出したばかりですが、社会に価値を提供していきたいと思っています」。
「一芸特化している人こそ、真のクリエイターであり憧れの存在。僕はそうなれなくてコンプレックスでもある。けれど、やっぱり僕はクリエイターではなくプロデューサー気質な気がしています。常に全体を見て、なにが問題か、どうすれば解決できるかを知りたい。ゆくゆくはプロデュースとクリプラの2つをメインにしていきたいです」。
一人で生きていくことを目標に独立した元兼さん。しかし、MEBICやODPと関わるようになって、つながりの大切さを実感しているという。「仲間が増え、頼られ、頼れる関係がとっても心地いい。人生ではじめて人のために、という感覚を覚えたというか(笑)」。独りで生き抜いてきたからこそ持てる強さがある。一方、人とつながることでしか得られない強さもある。新しい強さを手に入れた優しい一匹狼は、これからも前を向いてしたたかに走り続けるだろう。
定額制デザインサービス「クリプラ」。気軽にプロのクリエイターにデザイン制作を依頼できる。
クリエイターズボイス公開日 : 2022年9月21日
取材・文 : 眞田 健吾(STUDIO amu)