自分の腕を磨き上げて、すべての人を幸せにしていく「写真道」

CREATOR’S VOICE
クリエイターズボイス-
元入所企業インタビュー

人との縁や出会いが自分を動かし、その動きの中で多くのものをつかみ取り、自分自身を成長させていく。決して早くはないカメラマンとしてのスタートであったが、それまで数多くの職業を経験し、人と出会い、想いに触れてきた。「自分を引っ張ってくれる人とのご縁には本当に恵まれていた」と振り返る株式会社幸鷹の武内隆之さんに、これまでの道のりや人との縁、学んできたことや考えてきたことなどをお聞きした。

自分の腕を磨き上げて、
すべての人を幸せにしていく「写真道」

 株式会社幸鷹

本当にやりたいことをして生きていこうと決めた

中学校を卒業後、入学した自動車整備の専門学校では写真クラブに入っていた。真剣に写真をやりたいという思いではなく、子供の頃からカメラの形や機械としての格好よさに漠然と惹かれていたことが理由であったが、暗室でモノクロフィルムを現像した時の像が浮かび上がってきた瞬間には感動した。
しかし、卒業後は写真を続けることなく、自動車整備工場に就職。仕事をしていく中で、せめて高校は卒業しておいたほうがいいと考え、18歳で4年制の通信高校に入学した。学業に専念するため自動車整備工場を退職するものの、すぐに六甲アイランドにあった物流倉庫で庫内作業の仕事に就き、働きながら21歳で通信高校を卒業。
ところがその翌年、阪神淡路大震災が発生。神戸で被災した武内さんは、六甲アイランドの倉庫に通うことができないため退職し、仮設住宅の建設で人手が足りずに困っていた親戚の軽天屋(軽量鉄骨材やボードなどを貼って天井を作る内装業)を手伝うことになった。でも、その仕事をしたいわけではなかった。「被災したことで、自分もいつ死ぬか分からないと実感しました。せっかく生き延びたのだから、自分が本当にしたいことをして生きていこうと考えたんです」。

ここではないどこか、もっと遠くに行って働きたいという願望を持った武内さんが、長野県白馬村でスキー場勤務の仕事を見つけたのは22歳の冬のことだった。そこで始めたスノーボードの技術がメキメキと上達し、やがてプロのスノーボーダーをめざすようになり、オフシーズンの夏でも雪を求めてアメリカやニュージーランドに滑りに行くまでの熱中ぶりであった。26歳を過ぎる頃にはプロへの道も諦めたが、それでもスキー場やスノーボードに関わる仕事を続けていきたいと思いながら働いていた。そして、32歳の頃に結婚を決意。正社員になるための面接を受けることになったが、その直前にリーマンショックが起き、人を雇っている場合ではないという理由で正社員の話は流れてしまった。なんとかして就職しようとしていたところに、神戸の親戚から声が掛かり、再び軽天屋で働くことになったのであった。

予想外の出来事から始まったカメラマンの道

武内氏 撮影写真

軽天屋での仕事は色々と上手くいかず、働きながら転職を考えていた。なんとなくパソコンを使った仕事に就きたいと考え、パソコン教室に通うことにした。それまでパソコンではネットを見るぐらいしかしていなかったので、エクセルとワードが使えるようになるといいかもしれないと思ったのである。これが、人生の大きな転換となった。熱心に勉強をし、エクセルとワードの資格を取得したが、それだけで雇ってくれる会社はなかった。すると、教室の先生が「武内君、これを勉強してみないか?時間があるときに僕の仕事を手伝ってくれたらお金はいらないから」と、グラフィックデザインソフトのFireworksやアニメーション制作ソフトのFlash、ウェブサイト制作ソフトのDreamweaverなどの使い方を教えてくれることになった。半年ほどかけてソフトの使い方を勉強し、神戸にあるウェブ制作の会社に片っ端から電話をかけて面接の申し込みをして回った。その中で一件「ちょうどよかった!社員を探していたんだ」という会社に出会うことができた。
ところが、面接の際に社長から「プログラムやウェブは常に新しい技術覚えないとダメだけど、写真は一回覚えたら応用もきくし、ずっと続けられるからカメラをやってみないか?」と提案されたのである。カメラに憧れていた子供時代や専門学校の写真クラブの思い出が一気によみがえり、武内さんはカメラマンになることを決意。36歳で立ったスタートラインであった。

武内氏 撮影写真

カメラやライトなどの機材は会社のものを使い、ゼロから勉強をしていった。社長だけでなく、関係のあった他の会社の社長たちも写真が好きでいろいろなことを教えてくれた。どの作業も楽しく、毎日新たな知識や技術を身につけていった。やがて仕事は多忙になり、夜中の3時に動画編集の指示や修正作業が行われるほどになっていた。ところが、作業ばかりが忙しく経営状態は悪化の一途をたどり、やがて会社は倒産してしまったのであった。

会社が倒産してしまう直前、商品撮影のクライアントであったアパレルECサイトを運営する会社から、社員として商品撮影をしてくれないかという打診があった。渡りに船とばかりに会社を移ったものの、カメラマンとしての仕事以外にも、アパレルのバイヤーとしての仕事も求められることになったのである。写真撮影だけをしていきたかったため、これはもう早々にカメラマンとして独立をしようと心に決めた。もっとしっかり基礎から写真を学ぶために神戸の写真学校に通い、さらにブライダルの撮影も学べる大阪の学校にも通った。ブライダルフォトの技術も身についてきた頃、先生から「君はもう大丈夫だ。あとは実践で勉強していきなさい」と、業界大手の結婚式場を紹介してもらったのである。そこではブライダルフォトだけでなく、広告カメラマンのスタジオアシスタントなどさせてもらい、写真の基礎や機材の扱い方など実践的な業務を徹底的に叩き込まれた。

そして時を同じくして、パソコン教室の先生の知り合いの現役カメラマンから紹介してもらったのが、後に武内さんにとって「大きな影響を与えてくれた存在」となる岡本寫眞館の社長であった岡本豊氏とお父様の岡本孟会長であった。岡本さんは武内さんと同い年で会長である父と二人でホテルオークラ神戸のブライダルスナップフォト部門を担当していた。「岡本寫眞館を紹介してくれたカメラマンさんは、『同じブライダルフォトをやるなら一流を知り、一流を目指せ。そのためには一流の場所に行きなさい』と言って、かつてご自身が出入りしていたホテルオークラを紹介してくれたんです」。2013年2月には勤めていたアパレルECの会社を辞め、3月に個人事業主の開業届けを出し、晴れてカメラマンとしての独立を果たしたのであった。

師匠から叩き込まれ、手帳に刻まれた大切な教えの数々

「独立したのは確か2013年だったと思うんだけど…。ちょっと当時の手帳で確認しますね」。自分自身の過去を振り返ってお話をしてもらう中で、より正確な年代を思い出すため、武内さんがこれまで使ってきた手帳を全て持参してテーブルの上に積み重ねてくれた。どの手帳も使い込まれ、中にはびっしりと細かくメモが書き込まれている。『自然体のものを撮る』『ひねりがない』『弥勒菩薩のように』『マシンガンはダメ』『ライフルを撃つように』『作文が中途半端』などなど。これらは岡本寫眞館の岡本会長から徹底的に叩き込まれたブライダル撮影についての教えである。
当時、事務所内で撮影したデータをパソコン上で確認していると、会長が「武内君、ちょっと待て!」と近寄ってきては、「なぜ同じところばかり撮っているのか」「なぜ並べ方をこうしたのか」「なぜ動きのない写真を撮るのか」など徹底的に追求し、ダメ出しをするのである。ぴったりと横に付かれて延々と写真の講義が始まり、ぐうの音も出ないほどヘコまされることがしょっちゅうであった。何冊もの手帳に書かれたメモはこの頃のものである。
『ライフルを撃つように』と書かれたメモの意味は、適当な写真を何枚も撮ってもいい写真は撮れない。自分の考えたポイントをしっかりと狙って撮りなさいということであり、『作文が中途半端』というメモは、「常に頭の中で作文をしろ」と徹底的に言われていたことがまだ出来ていないということである。「カメラはシャッターを押すだけなら何も考えなくてもできるんです。でも考えろ、考えろといつも言われていました。なぜこう撮ったのかを説明できなければいけないと言われ続けました。とても厳しかったけど、それが本当に良かったんだと思います」と武内さんは懐かしそうに目を細めた。

その努力が結実した今、武内さんの写真には「人の瞬間を抜く上手さ」や「料理に香りや温もりが感じられる」「今にも動き出しそう」といった評価が多く寄せられている。現在は美容関連店舗や飲食店の出張撮影、企業が展開する広告写真が中心になり、ブライダルの現場に行くことはほとんどなくなったが、岡本会長から学んだ写真に対する姿勢や考え方は、今でもすべての撮影現場で活かされている。どう撮影すればクライアントの望んでいる意図を具現化することができるのか、求めているものをどれだけイメージして汲み取れているか、本当にクライアントに寄り添えているかなどを常に考え抜いて撮影している。

居合道を嗜み自分自身の精神を鍛錬する武内さんは、写真もまた「道(どう)」であると考えている。今日一日無事に撮影を終えたら、また次の撮影を真剣に取り組む。常に考え、悩み、答えを出し、より良い写真を撮影する。その終わりのない「写真道」を実直に歩み続けている。「僕には師匠が沢山います。自分が学びたいと思った時に必要な方々と出会って、自分を救ってもらったり引っ張ってもらったりしてきました。今も自分が行きたいと望んだステージに行かせてもらっているし、やりたいことをさせてもらっているなと思っています」と語る武内さんがこれから歩んで行く道の先にはきっと、出会うべくして出会う多くの人たちが待っていることだろう。そのすべての人たちを写真の力で幸せにしていくのだ。

クリエイターズボイス公開日 : 2020年6月5日

取材・文 : 大西 崇督(37+c)

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