人・モノ・コトにスポットライトをあてるために

CREATOR’S VOICE
クリエイターズボイス-
元入所企業インタビュー

枝づたいに進んでいくうちに毛色の違うところに出るキャリアもあれば、すべての経験を糧にして現在の形にたどりつくこともある。起業のためにデザインから営業、販売の現場を走り続けてきた「スポットライト」代表・山下悦令さんは、まさにそんな人。小学3年生から高校を卒業するまで続けた野球、オールマイティーに活躍した自身の立ち位置が、現在につながっていた。

人・モノ・コトにスポットライトをあてるために

 合同会社スポットライト 山下 悦令

「売り方プロデューサー」そのルーツを探る

「人・モノ・コトにスポットライトをあてて輝かせる」をコンセプトに、企業をサポートする山下悦令氏。SNSスキルシェアやWEB・LP制作、ブランディングやデザイン・ライティングまで幅広く情報発信や売り方の提案に携わってきた。その話から受ける印象は「自分を冷静に俯瞰できる人」。まずはそんな思考が培われた子ども時代に遡ろう。
小学3年から中高と続けた野球では、全国大会にも出場経験を持つ山下さん。将来の夢はもちろん野球選手と思いきや、「それは小学生の頃までで。中学で凄い選手が入ってきて、プレイを見た瞬間、世界が違うと感じました」。
なんとなく自分の立ち位置が見えてしまったそんな頃、パソコンとの出会いがあった。まだまだPCが普及以前の95年、父が「これからの時代はパソコンが必要」とFM TOWNSを誕生日にプレゼントしてくれたのだ。当時、高価だったPCを、子どもの将来のために購入してくれた父は印刷会社に勤務しており、のちに独立起業する。その姿を見ていたから、「自分もいつかは起業したい」という想いが芽生えていく。まずは社会の仕組みを学ぶために、旅行関係の業界誌を発行する会社へ就職したのは2000年、20歳のことだった。
会社ではデータ管理を任されるも、仕事に充実感を得られず退職を考える。が同時期、新聞広告を制作する部署に空きが出た。そこで山下さんは「Macを触ったことがなく、デザインの基礎もなかったのですが、3ヶ月だけもらえたら一人前になるからこの仕事をさせて欲しい」と社長に直訴。すると面白がってやってみろと言ってくれた。「あの時OKが出なければ、この仕事はしていないですね」そこからは雑誌や書籍を購入して独学でデザインと向き合う。タイミングも良かった。ちょうどMacのOSが9からXへと移行する大転換期。IllustratorもPhotoshopもCSへと大きく変わり、誰もが勉強しなければならない時期であり、最初からこれらを扱える山下さんが現場をリードできる状況となった。

自分が最高に活躍できるポジションを探せ

5年ほど在籍した会社を卒業すると、次は印刷会社に営業職として転職する。「この会社はクライアントが大手ばかりで、営業の仕事
にディレクションも含まれており、カタログであれば誌面構成からモデルのオーディションや撮影、印刷や校正まで一連の制作の流れに関われたのでとても勉強になりました」次に転職先として選んだ商社では戦略を立て、状況を俯瞰して自分が活躍できるポジションを確保する。「僕は独学と実践でしかデザインに携われなかったので、学校で基礎から学んだデザイナーと同じフィールドで戦っても勝てない。だからデザイン関係には行かず、“デザインのことが分かる営業”というポジションを選びました」。たとえば見栄えの悪い社内の資料を、すべてIllustratorでつくり直すといった形で自分のデサイン力を発揮した。こちらには10年以上勤務し、数々の企画やブランディングを成功させ、達成感も感じていたが、ついに独立を決めた。「新庄監督の“ピークで辞める”という言葉が好きなので」40代にさしかかり、まだまだお金のかかる家族もいる。独立起業に迷いはなかったのだろうか。「何度か妻に相談して、最後には“あなたなら、もっとやれるよね”と背中を押してもらえました。ダメだったら妻の実家でみかん農家をすればいいとも(笑)」。子どもにいろんな選択肢があることも見せたかった。

SNSで人生を変えるそんな意気込みで臨んだ日々

次にやるならこれまで培ったブランディング力や発信力を活かした仕事をと、2022年に起業。山下さんが主戦場としたのはSNSだ。発信することに関してはSNS以前からブログを手がけ、Twitter(現・X)が国内サービスをはじめてすぐに登録し、インスタライブにもいち早く挑戦してきた。
そこで「Twitterで人生を変えようという気持ち」で、約2000人のフォロワーがいたアカウントを捨て、イチから新しいアカウトを立ち上げた。その時には「1日8時間Twitterと向き合う」と決め、「1日10ツイート×100日チャレンジ宣言」をし、10日で1000フォロワーを達成する。ここでは万年筆について書きAmazonのベストセラーとなった自作の電子書籍の魅力や、起業への想いなどをつぶやいた。万年筆との出会いは20代の頃。「きれいな字を書きたい」。そんなシンプル動機から、ボールペン講座を受講していたが、ある日、上司から手渡された指示書に驚いた。文豪が書いたような、強弱ある流麗な筆致に感動し、万年筆にハマる。それによって今まで苦手だった「書くという行為」も好きになっていった。書籍を書くために通ったライティングスクールでは、さまざまなノウハウを学んだという。「売れる本を書くためのプロセスや、“自分語りを相手の価値に翻訳する”といったことは、今の仕事のベースになっています」独立後は大阪デザイン振興プラザ(ODP)へ入所。交流会には頻繁に顔に出し、ネットワークを広げていった。大阪で活動するクリエイターを応援するメビックでのシーズ発表会に登壇すると反応もよく、その後、関西を中心に活動する産学官民メンバーによる異分野コミュニティKNS(関西ネットワークシステム)に参加し、SNSについて語るとそれを聞いていた産創館の担当者から声がかかりセミナーを開講することに。そうして活発に動いた先で、次々と新たな仕事へ結びつけてきた。

オールマイティーこそ最高のリーダー 多くの人にスポットライトを

山下さんの現在の肩書きは「売り方プロデューサー」。「売り方✕伝え方」の戦略構築を強みとして、商品やサービスが必要な人に届くよう、SNSを中心に多岐にわたる方法で企業の悩みを解決する。SNSを専門に仕事にしている人も少なければ、発注側もよく理解していないケースも多いが、商品ごとに置かれている状況やターゲットを見据え、個別に次の一手を考え続けることで、必勝と呼べるパターンが構築されていった。
こうした活動を昨年末から単独ではなく、案件ごとに最適なメンバーを集めたチーム制で取り組むスタイルに変えたという。かつて一生懸命頑張っても認めてもらえず、悔しい思いをする仲間の姿を見ており、向上心のある人を集めたら面白いことができるのでは思っていた。「社名には“そういう人たちにスポットライトを当てたい”という想いも込めている。そのためには仕事が必要。試合に出られてこそ、選手は活躍できるんですよ。だから自分は試合=仕事を提供することに徹しようと決めたんです」デザイン、営業、販売、どのジャンルも実践の場で培ってきた。「他にできる人がいないから守ってこいと言われてやってきたのが、僕の野球人生」。実際試合で活躍するのは凄く肩が強いとか、めちゃくちゃ脚が速いというように何か突出した能力がある選手。自分のことを「すべてにおいて標準以上だが、飛び抜けたものがないオールマイティー」だと評価する。だからこそ仕事をする上で、最上のパフォーマンスを発揮できる自分だけの立ち位置や方法論を探し出せたのだろう。
「また全部のポジションを守れるということは選手としては中途半端なんですが、監督としてなら最強。そう考えたら自分も力を最大限に発揮できるポジョンに変わろうと。そのための完全チーム制でもあります」。最強の監督が率いるチーム、山下さんのモットーである「全力でやりぬくこと」を貫けば、きっと多くの人を輝き照らせる、かけがえのない居場所となるだろう。

 

小学3年生〜高校まで続けた野球は、山下さんの人生観にも大きな影響を与えた。

人生を変えた万年筆。現在は選りすぐりの3本を大切に使っている。
上/LAMY dialog 真ん中/MONTBLANC マイスターシュテュック P145 下/Pelikan スーべレーンM600

クリエイターズボイス公開日 : 2024年6月28日

取材・文 : 町田 佳子 氏

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