C.Hは「エフェクター」と称して活動しています。
「エフェクター」は音楽で、原音とスピーカーの途中に挿入し効果を与え、さまざまな音に変化させる機器のこと。
C.Hはあらゆるクリエイティブなミッションに参加し、事業やプロジェクトの企画立案や進行管理など、ジャンルや内容にとらわれず幅広い業務に多角的なアプローチと手法で効果を与えて、様々な変化を加えて滞ることなくアウトプットを実現します。
【企画業務】商品開発、POP・販促、企画販促関連業務(動画・画像撮影、HP、SNS運用、プレスリリース、パッケージ、ブランディング、マーケティング)、その他クリエイティブ関連の業務
【デザイン】プロダクト・家具・什器・インテリア
【内装工事】オフィス・店舗・イベント・企業自社撮影スタジオ等
【プロジェクトマネジメント】小売り・卸売り・デザイン・製造メーカー・工事業に携わり、商品企画・デザイン販促・営業・商品開発・MD・貿易・設計・デザイン、などの様々な経験を生かして、多角的な視点の考えでご相談~プロジェクト進行サポートをさせていただきます。
店舗やオフィス、ショールームの内装・什器デザインから家具やインテリア雑貨のプロダクロデザイン、商品の企画開発、ブランディング、プロモーション、販促に向けたグラフィックデザインなど、幅広く多彩な分野におけるデザインを手掛ける株式会社C.H(シー・エイチ)代表、田中秀明さん。自らの役割を「エフェクター」と位置づけ、人と人、ビジネスとビジネスをつなげるデザインによって、価値や感動を増幅するエフェクト(=効果)の創造をめざしている。2023年、人生の岐路に立ちODPに入居したという田中さんに、これまでの歩みや事業への想いを伺った。
株式会社シー.エイチ 田中 秀明 氏
ジャンルや内容にとらわれず、あらゆるクリエイティブなミッションに参加し、さまざまな“デザイン”を発信する田中さん。「これまでやったことがないような課題でも、絶対にできないとは言わない」と語るその創造力を裏打ちするのは、幅広い分野にわたる経験と学びを得てきた、紆余曲折とも言える長い道のりだ。
その第一歩は中学生のとき。母親の勤め先であった店舗設計を手掛ける事務所を見て、建築士に憧れ高等専門学校に進学。卒業後、住宅や店舗の設計、商業空間などの内装デザインの仕事に携わり、膨大な業務に忙殺される日々を送る。そんな毎日から抜け出そうと、次のステップを見据えてカラーコディネーターの資格を取得する。
「そんな時に出会ったのが、大阪で活躍する建築家を紹介する本。あるイタリア人建築家に惚れ込んで、弟子にして欲しいとアトリエに飛び込んだんです」。
しかし、返ってきたのは「椅子の1つも作れないのに、建築がしたいなんてありえない」という厳しい一言。その言葉が、自分の方向を大きく変えてくれたと振り返る。
「高専時代から建築を学び、インテリアは好きでしたけど“じゃあ自分ならどう造るか”という発想はなかったですね。その言葉を聞いた時、悔しいと思うのと同時に目が覚めるような気持ちでした」。
「それなら、家具を極めてから来るから、絶対に覚えておいてくださいね」。そう宣言して家具づくりの道に転身。思えばこれが、人生においてひとつめの大きな分岐点だったと話す。
その後、家具メーカーで9年間勤務。家具の企画開発に携わりながら独学で一級建築士の資格勉強を続け、何回かの挑戦で学科試験はパスするも、時間内に課題の設計図面を作成する実技試験をどうしてもクリアできない。「今のままでは無理だ」と思った田中さんは昇格の話が出ていた家具メーカーを辞め、建築家になる夢を掛けて勉強時間を確保できるアルバイトへ。それでも合格を果たすことができず、大きな挫折を味わうことになる。
少年時代からの夢が閉ざされた田中さんに手を差し伸べたのは、当時世の中を席巻していた大手通販会社だ。家具メーカーでの商品開発の実績を買われ、再びモノづくりの世界へ飛び込むことになる。
「初めて大きな挫折を経験して、自分が思い描いていたように人生は上手くいかないことを痛感した時期でした。ただ、何かをやれば夢中になって楽しんでしまうのが私の性格。結果、この通販会社との出会いがその後の人生を大きく切り拓いてくれたんです」。
また、その後入社した雑貨メーカーでは、商品のパッケージデザインや店頭ポップ、アテンションシール、SNSやプレスリリースなど商品開発以降の販売促進に関する業務を経験すると同時に、加えて細かくコスト管理を徹底する企業体制から、継続的な経営や商売のための知識を獲得。さらに守備範囲を拡げ、40代突入を機に独立を決意する。
2018年、「C.H(シー・エイチ)」を開業し新たなスタートを切った田中さん。間もなくコロナ禍に見舞われるも、これまでの縁でつながってきた仕事のおかげで、厳しい時代を乗り越えることができたと話す。特に、通販時代の取引先から誘いのあった商業用ディスプレイのためのオリジナル什器の企画開発は、上海工場で製造し日本国内の商業空間に展開するというスケールの大きなもので、自身のこれまでのノウハウを発揮しながらも今後につながっていく重要な足がかりにもなったという。
独立を経て田中さんが改めて思うのは、自らの存在価値についてだ。
「本当にいろいろな仕事に携わってきて感じるのは、自分がいることのメリットは何かひとつのジャンルでは表せないなということです。私のスタンスは昔も今も“こういうことしたいけど、どうしたら良い?”や“誰もやったことがないけど、どうしてもやってみたい”といった企業のチャレンジ精神に応え、その想いを叶えるデザインで支えること。そこには決まったジャンルはなくて、目の前の課題を楽しみ、新しい価値を生み出していくことが、自分の役割というか存在価値なんだと思うんです」。
ODC(大阪デザインセンター)に登録する際、自らの肩書について考える時にも、「どの表現もしっくりこなかった」という田中さんは、設計事務所に居た頃はアシスタントやストアデザイナー、家具メーカーでは企画営業、通販会社ではマーチャンダイザーと、その時々によって肩書が変わってきた。一つのポジションに固執せず、場面場面で必要な“効果”を発揮してきた自らの存在を音楽用語である「エフェクター(原音とスピーカーの途中に挿入し、さまざまな音に変化させる機器)」決めたのも、そんな自分自身だからこそ提供できる創造力を、一人でも多くの人に伝えていきたいという気持ちからだ。
「思えば子どもの頃から多趣味で、いろんなことに興味があり気が向くままにチャレンジしてきました。好奇心の塊で、欲張り。面白いと感じたことは全部やりたいんです」と田中さん。「まだまだ自分探しの旅の途中」と、さまざまな可能性に挑戦する自らのスタンスを心から楽しんでいるという。
そして2024年、もうひとつの人生の分岐点が訪れる。父親が他界し畑を相続したことを機に、全国各地を飛び回る上海の仕事を続けることが困難に。収入の大部分を占めていた仕事から思い切って手を引き、大阪を拠点に生きていくことを決意する。
新規取引の開拓が必要となったものの、営業は大の苦手と自認する田中さんは「本当に自分を必要としてくださる人がいれば、自然と縁はつながっていくんじゃないかな」と考え、人とつながりビジネスチャンスを拓いていけるODPのインキュベーションオフィスに入所。C.Hを法人化し、株式会社C.Hが誕生する。
そんな田中さんが今見据えていることは、大阪を拠点にしながらも世界へと広がっていくビジネスの可能性だという。そのために語学力を磨きつつ、グローバルなビジネス展開を模索中。より広い視野でエフェクターとしての存在価値を発揮し、多くの人との関わり、課題を解決し、さまざまな価値を創り出していきたいと意気込む。
社名のC.Hに添えられた“Almost transparent, rhizome and fractal design.”というキャッチフレーズには、デザインに対する田中さん自身の想いが込められている。
「自分の色は限りなく透明。あくまでもお客様のために100%の力で考えるデザインは、自由でランダムだけど一定の法則もある、という意味を込めています。限りなく透明だからこそ自由、だけど、何でも屋でもない、それが今の私なのかなと」。
まだまだ道の途中だと笑顔を見せる田中さん。これからもたくさんの人と出会い、人をつなげ、驚きや感動のエフェクトを創り出していくのだろう。
クリエイターズボイス公開日 : 2025年3月13日
取材・文 : 山下 満子 氏