アイデア創出を徹底し、特許・意匠などの知財のフォローもしながら、ビジネス資源となりうるオリジナルデザインをご提案することを基本方針としています。
大規模なプロジェクトを引っ張っていける強い商品をより多くデザインしていけたらと考えております。
①デザイン事業(プロダクト、グラフィック、パッケージ)
②小売り事業(知育ブロックなど)
「パターン」「枠」「型」「マニュアル」。クリエイティブな活動においてハマってしまいやすい、そういった「ぬるま湯」状態を徹底的に拒否し、壊しながら、アイデアの創出とコンセプトワークにこだわり続けてきた。「ブロッピン」「おぼこかるた」「キラキラブロック」「チューブロック」など、独創的なアイデアを盛り込んだデザインワークを展開しているナカシマデザイン事務所の中島真範さんに、これまでの活動や根底に流れる思いについてお聞きした。
ナカシマデザイン事務所 中島 真範 氏
初めてデザインを意識したのは中学生の頃、防火を啓蒙するポスターコンクールの作品作りをしたときであった。
採用されるには絵が上手いだけではダメだ。何を目的にしているのか、誰に向けているのかなどの「コンセプトワーク」が必要だと考え、怠けて寝転がっているピクトグラムの後ろで炎がメラメラと上がっているポスターを作成した。これがなんと最優秀賞に輝いたのである。
「むちゃくちゃオモロいなと思って。アイデアひとつでこんなに人をワクワクさせたり驚かせることができる。そういうことが仕事になるとわかって、グラフィックデザイナーになろうと思いました」
京都工芸繊維大学工芸学部造形工学科でグラフィックデザインを学んだ後、大日本印刷株式会社へ就職。面接の際に、他の志望者たちがA3サイズの分厚いポートフォリオを持参する中、ただ一人B全サイズのパネルを使い「内輪差の巻き込み事故を少なくできる車のデザインコンセプト」を平面図と言葉でプレゼンし、包装総合開発センターに勤務することとなった。当初はデザイナーとしてパッケージの企画をビジュアルで出していたが、お菓子や食品の箱を開封したり畳んだりする際の「ミシン目」の研究を目の当たりにして、構造体に傾倒していくようになった。「使い捨てのデザインが嫌になったんです。ミシン目などの機能デザインって何十年も残っていく。僕はそっちだと思ったんです」
そして28歳で大日本印刷株式会社を退職し、地元神戸の専門学校で1年間、CADなどの実技を学ぶ。その後、中島さんは様々なコンペに応募する武者修行を開始したものの、「どこか会社で実務をしたほうがいいのか?」「アイデア出しばかりやっていていいのか?」と、いろいろな迷いが生じてきた。悩みを解決するために赴いた中小企業基盤整備機構で出会ったのが、元々、シャープ株式会社総合デザイン本部で副参事をしていた羽原清明デザインアドバイザーであった。羽原氏は「今のようにアイデアや発想に注力するのは絶対にいい!」と力強く伝え、それ以降も足繁く通う中島さんにアイデアやデザインに対してアドバイスをしてくれた。
数々の努力が結実したのは2008年、中島さんが35歳の時であった。神戸エコデザインアワードというコンペで、グランプリを獲得したのである。飲み終わった牛乳パックを切り開いてリサイクルするのではなく、上部の蓋を開けるだけで紙コップのように重ねて省スペースで保管できるものを考案したのだった。「もし実務で働いていたら頭が固まっていてグランプリは取れなかったと思う。自分のやり方は間違ってなかったと確信しましたし、コンセプトワークがすべてだということを思い出しましたね」
しかしこの時、意匠登録を依頼した弁理士が牛乳パックとしてではなく重ねられる箱として出願してしまったために、ポップコーンの箱と同じであるとみなされて審査に落ちたのである。この苦い経験から、中島さんは知財について勉強をし、以降の作品ほとんどを自分で出願するようにした。
その後、近畿経済産業局がクリエイティブ産業支援の一環として、神戸のKIITOで開催していた「デザイン道場」に参加し、そこで出会った仲間とともにグループ活動を開始。さらに、羽原氏から「船場センタービルの空きスペースをシェアして一緒にやらないか」と誘われ、グループ活動も含めた制作の拠点にした。そういった環境を提供されるきっかけになったのが、2011年に個人作品としてグループの展示会で発表した「ブロッピン」と「おぼこかるた」だった。これらの活動や展示会を通して様々な企業と出会い、仕事につなげていった。
大きな転機となったのが、ヨシモリ株式会社である。化粧品などのパッケージに使われるキラキラと輝く紙を加工した後に出る「端材」で何かできないかという依頼から生まれたのが「キラキラブロック」であった。小さな箱と箱を組み合わせて自由に形を作って遊ぶアイデアのもとになったのが、子供の頃に遊んだサイコロキャラメルの箱であった。蓋と蓋を交差するようにしてつなげた遊びを思い出し、「パッケージの知識を使ったらもっとしっかり付くはずだ。この遊びを本気でやってみよう」と吉森社長に提案をした。社長と二人で社長室にこもって箱同士が付く強度を上げるアイデアを考え、常識の「枠」を壊して発想したのが「蓋の幅を狭める」ことと「内側に折り込むフラップを追加する」ことだった。二人のアイデアで完成に導いたのは2014年のことであった。
その翌年、配管継手を生産している株式会社ベンカンから新規事業の相談を受けたことから「チューブロック」を開発。水平と垂直が計算された配管の特徴を活かすために、形状に関して加工やデフォルメをせず、生産している配管の「サイズだけ」を小さくするアイデアを発想した。さらに、配管形状になっているパーツの両端がどちらも同じように接続できるように突起と円状の溝を施し、継ぎ目で回転ができるようにしたのである。しかも、回転させても同じ強度で付き続ける難易度の高い技術もクリアしたのであった。
キラキラブロックは2019年に開催された第19回ホビー産業大賞にて、「経済産業省 製造産業局長賞」を受賞。チューブロックは、2017年度グッドデザイン賞、Amazon知育・学習玩具大賞2017で「Amazon特別賞」を受賞。それぞれの商品はテレビをはじめ、新聞や雑誌、ネットニュースなどで取り上げられた。
2019年、船場センタービルの事務所スペースからODPに移転して「ナカシマデザイン事務所」を開設。これが真の独立なのかもしれないと中島さんは語る。
中島さんの生み出してきた製品はどれも遊び心に溢れていて、ずっと触っていたくなるものばかりだ。この原点は子供時代にあるという。買ってもらったおもちゃをその使い方以外で遊び、実験をし、おもちゃの作り方や工作の本を参考にして自ら作ることもあった。自分なりの遊び方を発想して、自分で面白くしていくことが楽しかった。そして「子供時代に自由に遊んで考え発想することの大切さ」を伝えたい思いから、中島さんは子供向けの「端材を使ったワークショップ」を行っている。ODP内をはじめ、製造業をしている企業や大学の研究室で集めた布や樹脂、木材、紙、ゴム、スポンジ、ボタンなどを使い、自分の想像を超えた作品が出来上がる瞬間の楽しさを体験してもらいたい。そして、大人が忘れてしまった子供の発想を自分にフィードバックさせていきたいと考えている。「もう型や枠にはまりたくないですね。マンネリ化する方が簡単で楽なんです。だからそれを振り払って、枠を壊したアイデアやコンセプトを発想していきたいですね」と信念を語る中島さんが次に生み出すプロダクトが楽しみで仕方がない。それは間違いなく遊び心に溢れて誰もが楽しめるものに違いないから。
クリエイターズボイス公開日 : 2020年3月24日
取材・文 : 大西 崇督(37+c)