美学としてのランドスケープデザインを越え、あらゆるスケールでの生態系の保護と回復に資すると共に、自然とコミュニティを健全な状態でつなぎとめ、サスティナビリティとレジリエンスを備えた豊かな社会基盤の創造に資することを企業理念に掲げ、都市の豊かなランドスケープを提案します。
集合住宅や商業施設、病院、学校など、建築物を取り巻く外部空間や、都市における広場や公園、あるいはテーマパークなど、さまざまな「環境」を創造するランドスケープデザイン。近年、大きな注目と期待を集めている分野で、数少ないスペシャリストとして活躍するN2 LANDSCAPE株式会社の代表・野口さんと、デザインパートナー・根本さん。お二人の出会いから事務所開設への想い、そして、これからのビジョンについてお話を伺った。
N2 LANDSCAPE株式会社 野口 健一郎 氏
小学生の頃に初めて乗った飛行機で見た機窓の風景に感動し、ある企業CMの“地図に残る仕事”というフレーズに心を動かされ、建築や都市計画の方向をたどってこの道へと行き着いた野口さん。片や、外科医をめざすものの受験で敗退し「これまでまったく知らない世界に賭けてみよう」と、興味が動くままこの道へと進んでいった根本さん。異なる出発点を持つ二人が出会ったのは、千葉大学園芸学部 緑地・環境学科(旧・造園学科)時代。先輩・後輩として同じ「都市環境デザイン学研究室(旧・造園施設学研究室)」に所属し、恩師・宮城俊作氏のもとで学んだのが始まりだ。「宮城先生は、日本におけるランドスケープデザインの第一人者。それまで日本で培われてきた造園の世界とは一線を画す、まったく新しい概念からの景観デザインや街づくりを知り、その魅力に惹き込まれました」と野口さん。先輩であった根本さんをはじめ、研究室の仲間とは大学卒業後も仲が良く、「しょっちゅう飲みに行っていた」と笑う。
野口さんは大手ゼネコンを経て鳳コンサルタント(株)環境デザイン研究所で、根本さんは(株)日建設計ランドスケープ設計部で、それぞれの舞台で活躍しつつ、プロとして経験と実績を蓄積していった二人。2009年に母校である千葉大学園芸学部が創立100周年を迎えた時には、その記念事業として開催された卒業生・在校生を対象とする記念館周辺のランドスケープデザインコンペに関西からチームとして参加し、見事最優秀賞を獲得する。また、2013年に竣工したグランフロント大阪は、二人の協働のなかでも最もスケールの大きなプロジェクトとなった。「ただ与えられた敷地を造園するのではなく、敷地の境界を超えて一つの都市空間を創り上げていくのがランドスケープデザイン。スケールの大きさはもちろんのこと、都市機能やコミュニティ、防災など、さまざまな視点からあるべき風景を描き出す、まさに私が追い求めていた“地図に残る仕事”なんです」。
協働したグランフロント大阪以外にも、野口さんは星野哲郎記念館、霞が関コモンゲート、日本青年館・日本スポーツ振興センタービルなど、いくつもの大きなプロジェクトを手掛け、2019年の作品である日本橋二丁目地区プロジェクトは、2020年度「GOOD DESIGN BEST 100」を見事受賞する。また、根本さんもやまぐちフラワーランド、伊丹スカイパーク、東京スカイツリータウン、日本造園学会賞を受賞した新ダイビル・堂島の杜など、錚々たる実績を次々と遺していった。
ランドスケープデザインのスペシャリストとして、ともに第一線で活躍してきた野口さんと根本さん。そんな二人が独立の道を選んだのは、「組織の中だけで終わってはダメだ」という恩師・宮城氏の教えが根底にあったからだという。「組織の中だと、どうしても組織のルールや制約に縛られた思考・行動になってしまいます。そうではなく、コスト管理やクオリティ管理など、すべてを自分の責任と判断でコントロールできるようになってこそ、本当の実力だ」というのが宮城先生のスタンス。「会社員時代は、顔を合わせる度に“いつ辞めるんだ?”ってせっつかれていましたね(笑)」と二人は振り返る。 まず、根本さんが会社を辞め、宮城氏の後を継ぐ形で奈良女子大学の教授に就任。教鞭をとりながらもランドスケーブデザイナーとして実践で活躍する道を模索した。「そこで、パートナーとして真っ先に頭に浮かんだのが野口君。1年がかりで口説き落としました」と笑う根本さん。過去に2度ほど独立を考えるも、今一歩踏ん切りがつかなかったという野口さんだったが、「これが最後のチャンスだぞ」という根本さんの一言で奮起。1年間の準備期間を経て、2020年4月、N2 LANDSCAPE株式会社をスタートさせた。
新たな出発点として、事務所開設の場所にインキュベーションオフィスを選んだのは、二人なりのある戦略があるという。「賃料が手頃というコストメリットもさることながら、それ以上の魅力が充実した施設を気軽に使えることと、何より色々な人との交流があることです」と野口さん。ランドスケープデザインの仕事は、スケールが大きくスパンが長いものがほとんど。設計タームだけでも、プランニングから基本設計、実施設計まで1年~2年を要する。その後の着工から竣工に至るまでのデザイン監理を含むと、数年単位になるのだ。設計中は図面作成に没頭し、なかなか“外の業界”のクリエイターと接する機会が少ないという。だからこそ、「起業早々、事務所に閉じ籠もっていては、人脈も自分たちの世界も広がらない」と根本さんが言うように、組織を出て独立したからには、今までにない新たなネットワークを築くことが大切だと考えたのだ。
「実際、ODPからいろんな情報をもらえますし、勉強会を通して他のクリエイターの方々とコミュニケーションを図り、とても良い刺激をもらっていますね」と野口さん。事務所を開設して約1年。現在、十数本の案件が稼働中で、様々なフェーズのデザインに多忙な毎日を送る日々。それらが竣工という形で完成していけば、プロモーションとしてグラフィックデザイナーやフォトグラファー、動画クリエイター、ドローンオペレーターなど、さまざまな分野のクリエイターとのコラボレーションも考えられる。そんな新しい出会いや、そこから生まれるクリエイションに対する期待感も、二人の原動力になっているのだ。
これまでランドスケープデザインの世界で多くのキャリアを積み重ねてきた野口さんと根本さんだが、ビジネスを取り巻く環境は、時代とともに変化してきたと感じている。 「技術の進化に伴って大規模な造成が可能になり、都市開発では土地の区画形質を改変し、より便利に、より美しく、街の景観をつくりあげて来ました。しかし、力任せの開発は、ともすれば土地本来の機能を失わせ、思わぬ地盤の脆弱化や水害などを招く結果になってきたことも事実。また、世界全体で環境保全が大きな課題となり、あるべき都市の姿もどんどん変わってきたように思います。そうした時代変化のなかで生まれたのが、土地や場所が持つ歴史性や物語性の継承、自然環境が持つ本来の力(レジリエンス)を読み解き、その魅力を最大限に引き出していくランドスケープデザイン。そして、私たちがめざすのは単に美しさだけでなく、生態系の保護や都市の機能回復、自然とコミュニティをつなぎとめる、本当の意味で人々の暮らしを豊かにするデザインなのです」。
そんなN2 LANDSCAPEの理念は、コロナ禍ですべての価値観や常識が激変した今の社会のなかで、今まで以上に大きな意味を持つようになったと二人は実感する。「私たちが志すデザインには、建築や土木、造園に関する分野はもちろん、自然や歴史、防災、そして健康など、幅広い知識と視野が求められます。世の中が大きく変わろうとする今、さらには人々の心の豊かさや人と人との繋がりなど、さらなる視点の広がりも必要になるでしょう。それに伴い、これまでにはなかった分野との連携が生まれるなど、ビジネスの可能生も大きく広がっていくと考えています」と野口さん。実際、南海トラフなどの大災害を想定した防災を視野に入れた都市機能はもちろんのこと、病院との連携でバイタルチェックと健康づくりに関する情報提供ができる公園など、まったく新しいコンセプトやアプローチも始まっているそうだ。
「だからこそ、いろんなクリエイターとの交流を大事にし、自分たちの視野や発想もより豊かにしていきたい。想像を超える変化への不安はもちろんありますが、それ以上に面白がってワクワクしていますね」と笑顔を見せる野口さんと根本さん。この場所からどんな風景を描き出していくのか――未来に向けた挑戦は今始まったばかりだ。
クリエイターズボイス公開日 : 2021年3月30日
取材・文 : 山下 満子