DESIGNERS OFFICE
デザイナーズオフィス入所企業紹介

代表者名

浦泉 裕一

Website

https://desigzmi.com/

連絡先

TEL:06-6657-6051

FAX:072-344-5555

EMAIL:uraizumi@desigzmi.com

世の中には、人や社会に大きく貢献するいい商品・サービスがたくさん眠っています。それをデザインによって生かしたりつなげたり、生まれ変わらせたりすることでたくさんの人に知ってもらい、使ってもらうことができる、そう考えています。

埋もれている「いいモノ、いいコト」に光を当て、表舞台へと引き上げる力が、デザインや広告にはあります。その力を必要としている人にお届けするのが、デザイズミの使命だと考えます。

CREATOR’S VOICE
クリエイターズボイス-
入所企業インタビュー

「自分のやりたいことがないんですよ。役に立つサービスは提供できるんですけど、何かやりたいことって聞かれたら・・・何をやりたいのかなぁってなるんです」。そう語るのはデザイズミの浦泉裕一さん。その言葉からは一見こだわりがないように思えるが、胸の内には営業・販促ツールで困っている人を絶対に喜ばせたいという確固たる思いが秘められている。デザイナーとしての道を歩み、その思いに至るまでの道のりをお聞きした。

相手を喜ばせるデザインを作り出すことが
最高の喜びになる

株式会社デザイズミ 浦泉 裕一 氏

相手を喜ばせるデザインを作り出すことが 最高の喜びになる

デザイナーを志したのは26歳。それまではデザインを仕事にすることなど考えもしなかったが、子供の頃から絵を描くことは好きだった。小学校の休み時間、クラスメイトに校庭で遊ぼうと誘われても断って教室で絵を描いていた。そして、その周りに友人が自然と集まってくることが日常風景になっていた。 中学と高校を経て大学に進学する際、大学卒業後の就職を意識して進学先を考えていたが、特にやりたいこともなかった。仲のいい友人たちは普通の大学の文系学部を選んでいたので、自分も同じような進路を選んでいた。

卒業後は電機専門商社に入社し、建築の際に必要な照明器具や空調設備、受電設備を供給する電設資材事業部に勤務することになった。入社についても何か大きな志望動機や思いがあったわけではなく、他の内定者たちの雰囲気が良かったというだけであった。ところが入社すると、厳しいノルマをこなすために早朝から夜遅くまでの激務が続くことになったのである。そんな生活が3年経った頃、この仕事には自分は合わないと感じるようになっていた。社内に充満する体育会系の雰囲気や空気感に無理をして合わせていることも限界で、ずっとこれが続くのかと考えると鬱々とした気分にもなった。何より、自分らしくないという思いでいっぱいだった。

この生活がずっと続くなら、一度リセットして好きなことをやってみようと思ったきっかけがあった。ある日、親戚が一堂に集まったことがあり、ちょっとした遊びで絵を描いたところ、周りから大絶賛を受けたのである。子供の頃は絵を褒められたことはあったが、大人になると人前で絵を描くこともない。アウトプットしたことと、それを評価されたことは、浦泉さんの背中を押した。それと同時期にコンピューターグラフィックス(CG)への興味もあった。まだ世の中に浸透していなかったが、新しくて楽しそうだと感じていた。ただ、どのような職業につけばよいのかわからない。そこで会社を辞めて、デザイン学校に通い始めたのである。

歩き始めたデザイナーの道にいくつものターニングポイントがあった

社会人が若い人たちに混ざって学校に通うことは当時珍しく、26歳になっていた浦泉さんにとっては少し抵抗があったが、創造社デザイン専門学校の夜間部に入学し、グラフィック専攻で2年間デザインを基本から学んだのである。昼間は飲食店でアルバイトをして、夜は同じ道をめざす仲間とともにデザインの習得に明け暮れた。2年目からは就職活動をスタート。何社か面接を受けるも良い感触を得られる企業はなかったが、ある幸運が訪れる。「その頃、他の人たちよりも高い自分の年齢はハンデだと思っていたんです。高校や大学でデザインを学んできた人たちとは発想力も違うと思うし。でも、一度社会人をして、全然関係のない営業の仕事をしていたから、営業スキルとデザインとを合わせて自分らしいことができたらいいなと思っていました」という当時の浦泉さんの願いを叶えるかのような企業に巡り合えたのである。

そこは東京の会社であったが、大阪にも事務所があり、卒業まではアルバイトとして入り込むことができた。会社のメイン事業は、JRの交通広告や野立て看板など様々な媒体の維持管理であり、それをベースにセールスプロモーションも展開していた。自分が担当するクライアントの売り上げはそれほど高くなかったが、この時期に企画から営業、制作、納品までを一人で完結できるシステムを作り上げ、一人広告代理店のようになっていた。

37歳になったある日、会社が二つに分かれてしまう事態が起きた。媒体事業とSP事業が分かれて、それぞれ別会社になったのである。浦泉さんは直属の上司が独立し社長となったデザイン制作会社の大阪事務所に勤めることになったのだが、業務内容も顧客も以前と全く同じであった。ただ、ポジションは大きく変わった。大阪の責任者であり、社長が営業で取ってきた案件をディレクションしてメンバーを動かす、実質的なナンバー2であった。また、外資系の大手IT企業との取引に大きく携わり、店頭での販売促進を行うために、ポップや冊子、ウェブサイトなど様々な媒体でデザインワークを展開していた。「きっちりしたものを作っていれば、お声が掛かるんだなと実感しました。今の仕事にもつながっているんですが、複雑なことやイメージしにくいことを分かりやすく一般ユーザーや企業に向けて伝えるものをよく作っていたんです。それこそIT関連以外にも居酒屋のメニューを作ることもありました。全く違うジャンルですが、情報を見る人が分かりやすくしっかり伝えることは一緒なので、違和感なくできていたんだと思います」と浦泉さんは当時を振り返る。

ところが、44歳の時にデザイン会社を退職する。社長のやり方や考え方と折り合いがつかなくなり、気持ちが折れてしまったのだった。そして、転職活動をしていたある日、東京に住む親友からの「一緒に仕事をしないか?」という打診が新たな道を開くことになったのである。

親友は東京の広告代理店に勤めていたが、個人でも会社を持っており、日本の様々な素晴らしい製品を海外に紹介するサービスを企画していた。東京オリンピックの開催も決定し、世界が日本に注目する中で、海外勤務の経験もあり英語が堪能な親友はこの機会にビジネスを展開しようとしていたのである。そこで、製品プロモーションのプロである浦泉さんとタッグを組もうと声を掛けたのであった。浦泉さんは会社を辞め、親友と新たなビジネスをスタート。2015年9月のことであった。 リサーチと準備に1年の時間をかけ、その後実際のサービスを展開しようという計画だったが、製品の輸出などハードルの高さが判明したため、観光や体験を紹介するインバウンドビジネスに切り替えることになった。ところが、事業がスタートして4ヶ月経ったある日、このプロジェクトは親友の個人的な事情で突然断念することになってしまった。

期待を超えるデザインで喜んでもらう事が自分にとって最高の喜び

2016年になり、和泉市のコワーキングスペースを借りた浦泉さんは、これからどうしようかと考えていた。そこで知り合った人たちの仕事を手伝ったりしていたが、堺市のインキュベーション施設である「さかい新事業創造センター(S-Cube)」に入所している友人のチラシデザインを手伝ったことがきっかけとなり、浦泉さん自身もS-Cubeの創業準備デスクに入ることにした。そこで起業に向けた事業準備を進めることにしたのである。その年の11月に「デザイズミ」を開業し、デザイナーとして独立。その後、個室である創業準備デスクからオープンスペースであるシェアードオフィスに移行したため、しばらく個室オフィスを探していた。2019年2月にODPで開催された「経営・知識セミナー」に登壇したことをきっかけにODPの施設や支援内容を知り、探していた個室オフィスであるインキュベーションオフィスに入所することに決めたのである。

現在は、これまで積み重ねてきたスキルや経験をベースにした広告やセールスプロモーションを中心に、看板やサイン、印刷物、ロゴ、ウェブサイトなどのデザイン、店頭ディスプレイや似顔絵などのイラストを制作している。ブランドの雰囲気を表現するようなものではなく、ユーザーが製品について分かりやすく理解できるように伝える広告を追求している。

「ユーザーが見ただけで理解できるというのはデザインの大前提であり、醍醐味であると思っています。だからシンプルで伝わりやすいものを作ることが自分の仕事です」と語る浦泉さんは、会社員時代に学んだことについても言及してくれた。それは、「相手の期待を超える仕事をする」ということ。デザイン制作会社時代に社長から何度も言われた言葉である。世間一般と同じ、普通のレベルのことをしても意味がない。一人で制作作業をしている時は、依頼してくれたお客さんの顔をいつでも考えている。

「何か作っている時でもその人の顔が浮かびます。すぐそばにいる感じなんです。この人がどうやったら喜ぶだろうって。期待以上のもので喜ばせたいですね」と笑顔で語る浦泉さんの「喜ばせたい思い」は、デザインではない似顔絵の仕事にも満ち溢れている。ただ似せようとリアルに描くのではなく、相手の気持ちを汲み取ってイラストにしている。実際に似ているとお客さんは喜んでくれるし、何よりも自分も嬉しくなる。

そして、今後は、自分がデザインするのではなく、一般ユーザーがウェブ上でデザインをしてオリジナルのグッズを作る仕組みを考えようとしている。それは「自分のやりたいことがないからなんですよ。自分がしたいことないから、相手の思っていることを表現しますよということをずっとやってきて、それ自体が提供するサービスなんですけど。誰かの役に立ちたいんです」という理由からである。だがこれは、若かりし頃の、「やりたいことがない」、「周りの流れに身を任せる」とは意味合いが全く異なる。自分のことよりも、まず誰かの願いを叶えたい。これまでたくさんの人たちの願いを叶えてきたからこそ、そう思えるようになったのだろう。そしてこれからも、自分のペースで、無理をせず、しなやかに歩きながら、誰かの力になっていくのだ。

クリエイターズボイス公開日 : 2020年6月5日

取材・文 : 大西 崇督(37+c)