1年のうち10ヶ月は、フットワーク抜群のカメラマンとして、残り2ヶ月は世界を旅する写真家として活動しています。
写真のテーマは「素」。作り込むのではなく、引き出すのでもなく、その人らしさが浮き出てきた瞬間が、一番魅力的な「素」の状態であると考えています。それは、写真だけではなく、コミュニケーションにおいても、制作物においても同じ。伝えるべき「素」の部分が、人肌の温かさをもって伝わる表現とはどのようなものなのか。その最適解を目指すことが自分にとってのクリエイティブです。写真はもちろん、これまでのコピーライター、編集といったキャリアも生かしながら、伝える手段を俯瞰し、「伝えたいことが、伝わる」情報発信のサポートをさせていただいています。
「50歳からの冒険」。上山さんは近年の自身の活動を、こう表現する。最近はコロナ禍で中断されているものの、1年のうち2ヶ月を「旅する写真家」として活動してきた上山さん。縁あってODPインキュベーションオフィスに入所し、カメラマンとしてだけでなく、前職のキャリアを生かしてクリエイティブディレクターとしても活動中だ。「事業のテーマはSDGs」と語る上山さんに、現在に至るまでの経緯とこれからの展望をじっくりとお聞きした。
ココロハチマキ 上山敦司 氏
バックパッカーに目覚めたのは学生時代。中国から陸路でユーラシア大陸を西へ西へと2ヶ月にわたり旅をした。以来、旅の虜になった上山さん。大学卒業後、コピーライターとして印刷会社に勤務するようになってからも休暇を活用し、背中にはバックパック、首にはカメラという、学生時代と同じスタイルで旅を続けてきた。訪れた国は二十カ国以上。言葉は通じなくとも、心を交わした人々は数知れず。その経験は、現在の上山さんの根幹を支えるものの一つだ。
印刷会社には10年間勤務し、その後、先輩らとともに、ロケーション・コーディネートの会社を立ち上げる。
「僕が仕事をする上で意識しているのは、“常に現場に身を置く”ということ。同じ会社に長年務めると、どうしても人の管理をする役割を求められて現場から遠ざかってしまいますよね。それが嫌で退職を考えていた時に、先輩から一緒に会社をつくろうと声をかけられたんです」。
クライアントのためにイメージに合うロケ撮影現場を探し、スケジュール管理をするロケーション・コーディネート業は、撮影に使える現場をいかに多く知っているかがカギとなる。ゼロからのスタートだった上山さんらは、店舗や施設を歩いて探し、一軒一軒交渉し、持ち場を増やしていった。さらに撮影前には、現場でテスト撮影し、太陽の動きや光の入り具合、アングルなどを確かめた。会社の評判は口コミで広がり、カメラマンたちとの信頼関係も生まれていったという。
「撮影現場ではいろいろなことを学ばせてもらいました。そのうちに元々好きだった写真が、さらに好きになっていったんです。同時に50歳を目の前にして、自分が本当に好きなことをして生きていきたいという気持ちも膨らんでいきました」。
悩んだ末、「50歳からの冒険」と宣言し、設立から15年間務めた会社を辞めて独立。すぐに創業準備を始めるのかと思いきや、ここからが上山流だ。独立後の最初の行動が「覚悟の旅に出ること」だったのだ。
「会社を辞めたらまず旅に出ようと思っていたのですが、普通に出かけたらこれまでと何も変わらない。独立したからには、その“覚悟”をここで見せなければと思ったんです」。
これまで撮りためた旅の写真でカレンダーを制作し、完売したらその利益で旅に出ることを計画したという。作ったカレンダーは500部。最初は友人や知り合い、SNS経由で知り合った人たちなどが買ってくれたものの、500部にはとうてい届かなかった。
「あきらめかけていた時に、ある友人から『本気さが伝わってこない。気合いが全然足りない』と発破をかけられたんです。それでぼくの中で火がついて」。
人が行き交う夕方の梅田駅に座り込み、カレンダーや写真を広げ、路上販売を始めたという上山さん。その様子がSNSで広まり、遠方から会いに来てくれる人、まとめ買いしてくれる人などが現れ出した。そしてついに500部のカレンダーは完売した。
「うれしかったですね。本気を出すとそれはちゃんと人に伝わるんだと感じました」。
その資金で、スペインの巡礼道サンティアゴ・デ・コンポステーラ1,700kmの道のりを20kgのリュックを担ぎ、歩いて撮影の旅を敢行。その後も、リヤカーを引いてカレンダーを売りながら東海道を歩いたり、ベトナムをママチャリで縦断したり、スリランカを折り畳み自転車と列車で旅して回った。
現在、上山さんのブログには世界各地で撮影された写真が並ぶ。そこに一貫するのは、観光者目線ではない、上山敦司という一人の生活者の目線だ。風景や人々、動物までもが、そこにいつもあるもの、繰り返される日常をただ生きるものとして、写真の中に息づいている。その瞬間、その目の前の光景に心動かされてシャッターを切る、上山さんの鼓動が聞こえてくるようだ。
「でもこれで食べていけるわけでは当然なくて。そろそろきちんと働かなくてはと思った矢先に、縁あってODPを知ったんです」と上山さん。2019年12月にインキュベーションオフィスに入所。今後の方向性を模索しつつ、2020年1月には、ATC10階のギャラリーで写真展を開催した。スリランカの旅で撮った「祈り」をテーマにした写真展だった。
「その時に見に来てくれたある人が、言ってくれたんです。『これSDGsに通じますね』って。実は僕、その時までその言葉を聞いたことがなくて、勉強を始めました」。
SDGsについて知れば知るほど共感し、自分がこれまで旅を続ける中で考えてきたことと重なる部分が大きいと感じた上山さん。特に“誰一人取り残さない世界の実現”というメッセージに心を打たれ、今後の活動のキーワードとすることを決意した。テーマは「ライスもライフもSDGs」。事業活動(ライスワーク)も社会貢献活動(ライフワーク)も、その理念を軸に行っていくということだ。
今後の事業として、カメラマンとしての活動はもちろん、同時にクリエイティブディレクターとしての活動にも力を入れていきたいという上山さん。
「やさしい広報誌」という広報誌の企画制作業務を始めるそうだ。真意をたずねると、「これまで僕が出会って来た素敵な人たちの共通点は“やさしい”ってことじゃないかと思ったんです。何に対してやさしいかっていうと、人に、環境に、まわりのすべてのものごとに対して、視点や姿勢がやさしい、そして活動がサスティナブルな社会に通じるように思うんです」。
上山さんの言う「やさしい広報誌」を象徴するのが、現在継続して制作を請け負っている大阪市立男女共同参画センター(クレオ大阪)が発行する情報誌『CREO』だ。女性、男性にかかわらず、すべての人にとって生きやすい社会をめざすクレオ大阪の活動は、SDGsの目標の一つ「ジェンダー平等の実現」はもちろん、その他の多くの目標にも通じる。
さらに自主活動として始めたのが、大阪環境産業センター(おおさかATCグリーンエコプラザ)との共同プロジェクト『SDGs の宝箱』。自らグリーンエコプラザに提案して実現したというこのプロジェクトは、企業の先進的なSDGsの取り組みを取材し、ATC11階にある常設展示場とウェブサイトで順次紹介していくという事業だ。
奇しくもコロナ禍で、制限せざるを得ない「旅する写真家」活動。今後のライフワークについて、上山さんは語る。
「これまでのいろいろな経験から、自分の中には面白いコンテンツがたくさんあると思うんです。それをいかに貪欲に、本気で発信していくか。これからの課題の一つです」。
物理的な距離は移動せずとも、上山さんの旅は決して立ち止まらない。クリエイターとして世界の、日本の、地域のサスティナビリティにどんな貢献ができるのか。冒険は今、まさに動き出したところだ。
クリエイターズボイス公開日 : 2020.09.28
取材・文 : 岩村 彩(株)ランデザイン